昨夜、
広島からのお客様がいらっしゃいまして、
ご質問がありました。
何故、「藤田嗣治な目玉焼」と言う名称を付けられたのですか?と。
そのお客様も大好きだと仰られていました。
一般的にレオナール•フジタは、
乳白色な肌を表現し、
フランスで認められた事実があります。
それは洋画の世界には無かった日本画の
面相筆を使った繊細な白い肌を表現したから、
と言う解説がなされています。
私も大好きな「FOUJITA 」の作品の印象は違うのですね。
戦争画やカフェで…な作品など、
数多くの作品が残されていますが、
作品を前にすると、
どうしても視線が釘付けになるポイントがあり、そこが「目」や「視線」なのです。
展覧会などを観て廻ると、
最後の方の展示には、
「目」な作品があったりしますので、
強烈な印象を私が持ってしまっているので、
今回のこのメニューの名称を入れたと言う
訳です。
余談ですが、
先の大戦前に藤田嗣治は帰国しているようです。
その折に神戸で1人の現代美術家を訪ねています。
その人物が後の「具体美術協会」を起こす
吉原治郎です。
フランスに来い!
と熱烈に誘われたと言うお話を伺った事がありますが、
現在の日清オイリオの前身企業のひとつ
「吉原製油」の後継者だったので、
家族や親族から大反対を受けたそうです。
そう言う事もあり、
「具体美術協会」の第一回の美術展はフランスだったのでは?と言う事も有るのかも…なんて。
詳しくお話しをして下さったのは、
「具体美術協会」最後に会員になられた
「堀尾貞治」氏です。
今はご存命ではありませんが、
「吉原先生がなかなか許してくれへんかってん」
と言うお話しされていらっしゃいました。
25年ほど前ですか、
私も現代アートをやっておりました折、
堀尾貞治さんにはお世話になりました。
いや、作品展の手伝いに駆り出されました。
堀尾貞治さんには、
本当に沢山の作家さんでサポーターの方々が
取り巻いていましたが、
私を見つけると、
「おっ、中山ええ時に来た!ロープ持って向こうまで走って壁にデン!ついて帰って来い」とか、「棒を延長してくれ!」「オレとオマエで、ええと言うまで振り回せ!」とか
もう大変でした。
そんな事を、ギャラリー前とか横浜トリエンナーレとかで振り回されたのは、
今となっては良い思い出です。
横浜ではガッツリ、
2人きりで1週間「堀尾学校」でした。
長々と申し訳ありません。
余談長すぎ。
ちなみに私アートは卒業しております。
そして、堀尾貞治さんの弟子でもありません。笑
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投稿を表示Kanseiさん
私の中で藤田嗣治さんと言えばシャンパンの蓋に描かれている薔薇の絵しか知らず、
藤田嗣治さんの名前は知っていても作品を見た事が無いので、興味深く読ませていただきました☺️
藤田嗣治さんの作品を見るときは目や視線に注意して観たいと思います。
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投稿を表示Kanseiさん、お話興味深く読ませていただきました。
私も藤田嗣治は好きな画家の一人ですが、
日本では未だ正当な評価がなされていないように感じます。
時代的なこととは言え、戦争協力者のレッテルを貼られたりした事がそうなのでしょう。
恥ずかしながら私が実際に観た作品は「秋田の行事」だけで、
Kanseiさんが作品を前に感じられた「目」や「視線」をネットに載ってる作品からですが、感じようと思います。
現代アートの作家(画家)でらしたんですね!
この藤田嗣治な目玉焼きからもその芸術性が伝わってまいります🙇♂️