倉之助
2024/01/19 04:41
危うし、第二十三日東丸
波を乗り越えフネがゆく 太平洋戦争初期に日本初空襲のB25搭載米機動部隊空母を補足、打電したお船です。(砲撃水柱手前)
名古屋に来襲したドーリットル隊14番機は、私と家内の父が低空で旋回するのを見てました。(16番機も名古屋飛来)
各地で幼稚園児も含めて民間人も銃爆撃で亡くなっていて、運が悪ければ自分や家内はいない、子供もいなかった、と言うお話。
私の母は小学校(国民学校)低学年の時、村の小道を歩いていて艦載機の機銃掃射に遭い、見知らぬお婆さんに危ないっと突き飛ばされ、茶畑の中に転がり入って難を逃れています。お婆さんの機転と茶畑がなければ、これまたこの文面は存在しません···
徴用漁船の4名、身を挺しての打電でしたが、B25、本土では飛燕試作機の模擬弾が当たりのみで全機襲撃後無傷で中国、ソ連へ。(ただし無事着陸は0)
B25は、こどものおもちゃの零戦、飛燕を作ったとき、相手がいないと遊べないと言われ、之にした次第。
後ろの双尾翼じゃまで持ちにくいとの評でした。

爆撃ごっこも可能です。お腹にブナの木で造ったどんぐり形ぶな爆弾を抱えていて、レーダまえの天窓から照準、背中の旋回銃塔(ターレット)回転で1個ずつ投弾できます。
投下目標からは、ぶなが芽吹き、🌱50年後はブナの森🌳
こどもには、ぶなの実、ほんとはそばの実の大きい感じと言ってありました。
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